登山 行蔵の雑談日記

山登りが趣味のおじさんです。自分が好きな事、気になった事を雑記でつぶやいています。

先人の知恵に学ぶ【歴史】今も昔も人間関係は難しい

こんにちは、題名の通り人間関係って複雑で難しいなぁって思う時があります。



新聞を読んでいて、気になる記事がありました。磯田 道史さんの【古今あちこち】で江戸時代に失業した大名の話しでしたが、現代でもあるよなぁと感じる内容でした。



よく時代劇で地方の殿様が将軍家の怒りをかってしまい、改易(江戸時代において大名、旗本などが領地や身分を剥奪される事、現代なら罷免にあたる)されて失業してまうシーンがありますが、気になるのは失業大名がその後どうなってしまったのか?どうやって暮らしていたのか?です。

記事は3代将軍・徳川家光に改易された大名に青山忠俊がいる。という内容でした。



顛末はこうです。
徳川家康と息子の秀忠は大阪城豊臣秀頼を滅ぼすと、真っ先に3代将軍=家光の英才教育を開始します。



その理由は、豊臣秀頼のていたらくをみていたからである。



秀頼は名将軍になる素質はあったのに、甘やかされて育てられたため乗馬も危ういほど肥満化してしまい結局滅んでしまいました。




家康と秀忠は「徳川は豊臣と同じ轍は踏まぬ」と決めました。後世に伝わる伝説では、12歳の家光に3人の補導役をつけたと残っています。



その人選は「重・硬・軟」を組み合わせたもでした。
一人目は重厚感のある無口な酒井忠世、二人目は厳しく直言する青山忠俊、三人目は優しく導く土井利勝の3人です。



なかでも傅役の青山忠俊は家光に対する愛情がもっとも深い人物でした。



家光の実母は自分の手で育てた弟を溺愛しました。
家光は乳母と暮らす、寂しい少年だったようです。



青山忠俊こそが父親代わりで、家光が狂言の観劇中に大地震が起きた時も、すばやく家光を抱き抱えて庭に飛び出しました。



ところが青山忠俊は厳しい。家光が言うことを聞かないときは、まず自分の両刀を投げ捨て、上半身裸になって家光の膝元にゆき、「言うことを聞かれぬのなら、この青山の首を刎ねてられてから、どうとでもなされよ!」と叫ぶのが常。



土井利勝は全く違い、青山の後に酒の杯を持って来て「青山や酒井のようでは若様もさぞ煙たいことでありましょう。まぁ一杯やって気を晴らしましょう」と、さまざまにもてなします。




そこで土井はタイミングを見計らい「若様、やっぱり青山が言う事が道理と思われませぬか?酒井に知れたらタダではすみませぬ。まげて青山の言うようにしていただけませんか?」そう土井が説得すると、家光は言うことをきいたようです



まるで刑事ドラマにでてくる。怖い刑事と優しい刑事が、交互に取り調べを行い、最後はカツ丼を食べて犯人が本音を話す、あのシーンを見てるようです。

しかし家光もいつまでも子供ではありません。
ある日事件が起きます。青山がふと家光の前にでると、家光が鏡の前で化粧をしています。
踊りをするためだと言う。
当時はかぶき者の奇抜なファッションが流行。



青山は激怒して「こんな事に熱中されるとは!」と家光から化粧鏡を奪いとり庭に投げ捨ててしまいます。



さらに「これが天下を保つお方のご所業か」と捨て台詞を吐きます。
これには家光も怒ります💢



人前で子供扱いして諭すとは「無礼なり」と青山を老中から外してしまい減封。(現代なら降格及び減給)



さらに家光の父親である秀忠が死去すると、青山を蟄居・改易処分にしてしまいます。(隠居して、仕事もクビになってしまう)



それからの青山は悲惨な人生を送ります。縁を頼って遠州小松浜松市)などに蟄居。
蓄えを切り崩しながら、アユ漁をして自活。酒も無い。ようやく手に入れた酒も1杯、2杯分しか無い。それをくじ引きで呑める人を決める。




くじ引きに外れた青山の息子、宗俊は「くじ引きにさえ負ける」とため息をつきます。
その様子を見ていた、くじ引きに当たった家臣が「若様、どうぞ呑んでください」と言うと、武士の意地で「いや、お前が呑め」と言う生活が続きました。



結局、この青山家が大名に復帰できたのは息子の宗俊の時代。
家光は後に「剛直な青山忠俊をクビにしてしまったのは、若気の至りであった。今は後悔している」と息子の宗俊に語ったそうです。



現代ならどうでしょうか?
今の時代に青山忠俊のような剛直な人物は少ないかもしれないけど、生き方としては憧れてしまいます。
ただ人生、自分の想いだけでは生きづらいのもあると思います。



そんな事を考えさせられる記事でした。


その買うを、もっとハッピーに。ハピタス https://m.hapitas.jp/register?i=21804843&route=blog