ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力もしくは陰性能力)と呼ばれる力
「性急に証明や理由を求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にい続ける力」を意味する。
あまりピンとこない能力ですが、誰でも多かれ少なかれ備わっているとは思います。
ただわからない事を、とりあえず棚あげできるかそのまま忘れてしまうかで差は有ると思いますが!
通常は能力といえば何かを成し遂げる力であったり、何かの問題を解決する力を意味すると思います。
しかし、この能力は何か処理して問題を解決するのではなく、そういうことをしない能力をすすめています。かといって忘れるわけでもない。持ち続ける力と呼べるのでしょうか?
そもそも人間の脳は、不確実さの中にいたり、不思議さ、訳のわからない状況が大嫌いです。
それは命の危険につながるから!
これは生物の本能だとおもいますが、特に人はなんでも「分かろう」として、さまざまな社会的状況や自然現象、病気や悩みにいろいろな意味づけをして「理解」し「分かった」つもりになろうとします。
そのため世の中にはマニュアルがあふれかえっていますね。
マニュアルは、あらかじめ設定された通りにやれば設定された結果が得られる便利なものです。
ナビゲーションで目的地に迷わず効率良く到着するイメージでしょうか?
逆に誰も通ったことのない未開の地を進むイメージがネガティブ・ケイパビリティに近いかも知れません(あくまで私個人の見解ですが)
目の前に、わけの分からないもの、得体の知れない不可思議なのも、嫌なものがあると脳が落ち着かなくなり、なんとかそれを回避しようとします。
しかし、人はなんでも「分かったり」理解できるわけでは無いので「とりあえずわかった」みたいな低い次元の理解が、悲劇につながったりします。
ネガティブ・ケイパビリティは、理解の逆の能力で論理を離れ、どの様にも決められない宙ぶらりんの状態、フワフワした状態を回避せず耐え抜く力だと言われています。
たしかに、私たちにとって、訳がわからないことや、手の打ちようのない対処のしようのないことは不快です。
そうそうに答えをだすか、逃げてしまいたくなります。
しかし、前のブログ記事でも書きましたが変化の多い、どうにも予測できない事柄が満ち満ちている世界になってきているので、このわからない事だらけにも耐える能力は重要な力だとおもいます。