みなさんこんにちは!
前回に続いて【歴史ミステリー】のシリーズ第二弾
日本のルーツを探る旅へ出かけてみましょう。
第一章 目次
・縄文時代から弥生時代へ
・卑弥呼と同じ時代を生きた天皇
・三種の神器と十種神宝
・歴史に隠された日本のルーツ
・縄文時代から弥生時代へ
第二次世界大戦の敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって「軍国主義の象徴」として神話教育は禁止され、占領体制から独立した後も神話は迷信だとする考えが中心になり、学校で使われる教科書のほとんどでは神話が無視され、現代日本人の多くは日本神話を学ぶ機会がほとんどありません。
もちろん、神話を事実と混同するわけではありませんが、神話を理解し、そこに込められた民族意識を知ることはとても大切なことだと思います。
日本のルーツを探る旅で、重要になってくるのが縄文時代末期から弥生時代です。
縄文時代末期には、日本各地に初期の王権(国家の原始形態)が存在していたことが、出土品などから分かっています。
日本神話に出てくる『国譲り神話』では、アマテラス率いる天津神が、それまでの日本を治めていた大国主命(オオクニヌシ)を中心とした国津神から、日本列島の統治を譲り受けるシーンが描かれています。
これが、縄文王権から弥生王権への移行だと考えられるのですが、皇室を中心とした「弥生の王権」が日本列島を統一する以前、つまり縄文時代の日本列島を大国主命(オオクニヌシ)はどうやって統治したのか?
神話は、なにも語ってはくれませんが、考古学からある程度のことは読み取ることができます。
日本各地には遺跡が残されています。
中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する「邪馬台国」も、そうした地方政権の一つだったと考えられますが、その所在はどこだったのか?については論争に決着がついていません。
・卑弥呼と同じ時代を生きた天皇?
日本列島各地に存在していたであろう地方政権が、いつ、どうのようにして統合されたのか?
その謎を探る上で重要なヒントが隠されているのが奈良県飛鳥地方の纏向遺跡です。
大和盆地の東南を南に伸びる「山辺の道」は、三輪山の麓にたどり着きます。
その周囲に点在する、前方後円墳は2世紀末〜3世紀前半(卑弥呼の時代)に築かれました。
纏向遺跡の特徴は、日本列島各地の土器が大量に出土することです。
のちの日本国家の原型となるハブセンターが、飛鳥地方にあった証拠でしょう。
纏向遺跡を見下ろす大神神社は、大和の国で最も格式の高い「一の宮」です。
この大神神社を創建したのは第十代崇神天皇である。と「日本書紀」にはあります。
崇神天皇の和風諡号は「はつくにしらすすめらみこと」初めて国を治めた天皇という意味です。
神話上は神武天皇が最初の天皇(紀元前660年ごろ)とされていますが、崇神天皇は実在した最初の天皇とも言われ、古事記に記載されている崩御の年は、西暦258年あるいは西暦318年と推定されます。(神武天皇とは800年くらいの年代差がある)
おおよそ紀元3世紀の人物で、邪馬台国の「卑弥呼」が魏に使いを送ったのが西暦239年ですから、「崇神天皇」と「卑弥呼」は同じ時代を生きていたことになります。
これは、個人的な想像なんですが、日本各地にはこうした地方都市のような国が点在していて、各国は物々交換により貿易を行いながら、大きな争いなどもなく暮らしていたのではないか?が私の考察になります。
この2人が同じ時代に存在していたとして、ライバル関係だったのか、または同じ一族で信頼関係だったのかはわかりませんが、この問題には触れずに次の時代へ進みたいと思います。
・『三種の神器』と『十種神宝』!
三種の神器(さんしゅのじんぎ)
日本神話において、天孫降臨の際にアマテラスが、孫であるニニギに授けた三種類の宝物、すなわち 八咫鏡・天叢雲剣(草薙の剣)・八尺瓊勾玉である・
皇位の象徴とされる三種の神器は、鏡は伊勢の五十鈴川のほとりに(伊勢神宮の起源)、剣は日本武尊が東征の帰途尾張に祀った(熱田神宮の起源)玉は宮中にあるものがオリジナルだといわれます。
十種神宝(とくさのかんだから)
先代旧事本紀(日本の史書で神道における神典)に登場する10種類の宝物
沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死辺玉・足玉・道辺玉・蛇比礼・蜂比礼・品物之比礼の十種類である。
十種神宝をご神体として祀っている、奈良県の石上神宮では、その神宝に宿る神霊を「布留御霊大神」として神格化し、祭神として祀っています
初めは、宮中に置かれた三種の神器でしたが、鏡と剣は崇神天皇の時に宮中から離され、垂仁天皇の時に伊勢神宮に祀られたのですが、剣(草薙剣)は別行動をとります。
第十二代景行天皇は、皇子のヤマトタケルを東国平定に遣わします。
その途中で伊勢神宮に立ち寄ったヤマトタケルに、倭姫は草薙剣を授けます。相模国では「荒ぶる神」の火攻めにあいますが、神器(草薙剣)を使って脱出します。
そして、陸奥国(東北地方)までを平定し、帰国の途につきます。
伊勢国の手前の、尾張国まで来た時にヤマトタケルはミヤズ姫と結婚しますが、ここで油断してしまします。神器(草薙剣)を姫に預けたまま、霊峰『伊吹山』に登り、山の神の怒りをかってしまい急死してしまいます。
これが日本神話に出てくる三種の神器のエピソードです。(かなり大幅にエピソードを削っていますが・・・)もっと詳しく知りたい方は、日本神話をご覧ください。
この三種の神器なんですが、古代ユダヤ人の秘宝 『失われたアーク』(モーゼの十戒の石板を納めた聖櫃)と結びつく伝説が残されています。
紀元前586年・・・(大昔の事なので年代の誤差は数十〜数百年あります)
『モーゼの十戒』の石板が収められたという「契約の聖櫃」が忽然と姿を消した・・・
人々はそれを『失われたアーク』と呼んだ。
(ちなみに、聖櫃の中に収められていた、ソロモンの秘宝とは、『十戒の石版』『アロンの杖』『マナの壺』の3つが収められていたと伝えられている)
古代アッシリア帝国やバビロニア帝国にアークを奪われることを恐れた、預言者エリアは、一部のユダヤ人たちを引き連れて、密かに『アーク』と『ソロモンの秘宝』を運び出した。
ヨルダン川を下り、大陸を横断し、長い長い旅の末に、ついに預言者エリアの一団は、東の果てにあるという幻の『日が昇る国』にたどり着いた。
ここで日本人の祖先として古くからくすぶっている説が、ユダヤ人が日本人のルーツではないか?という伝説です。
この件に関しては前回の記事でも軽く触れています。
もう一度、今回の記事で私なりの解釈を述べさせていただくには、古代ユダヤ人の歴史にスポットを当ててみる必要があります。
・歴史に隠された日本のルーツ
古代ユダヤ人のルーツは、旧約聖書に出てくるヘブライ人の指導者である、預言者モーゼ(約3300年前、伝説には年代の幅がある)が、エジプト人のファラオ(王族)から奴隷として支配されていたヘブライ人(イスラエル人・ユダヤ人も基本的に同じ)を神の御告げにより紅海を割って助け出した。この時、助け出された人たちが後々のユダヤの民族。
エジプトから救出されたユダヤ人は、エルサレム(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の聖地)に帰ってきます。
この後もさまざまな伝説が残っていますが、ここでは触れずに先に進めます。
この後の神話では、ダビデ王の伝説、その子のソロモン王の伝説に繋がっていきます
(このあたりの世界の伝説もいつか記事にしてみたいと思います)
平穏が訪れるかに思われたのですが、それから程なく『バビロン』(聖書では「バベルの塔」として登場する)という強国により、ユダヤ人はまた奴隷にされてしまいます。
また何十年かの年月が過ぎ、やっとのことでエルサレムに帰ってきます。
そしてヘロデ王を頂き、栄華を誇ったユダヤ人の王国を築き上げます。
しかし、その後、古代の巨大強国ローマ帝国によりユダヤ王国はついに滅んでしまいます。
この時にユダヤの12支族は世界に分散してしまいます。このうち「失われた10支族」のその後の行方が、今もなお知られていないのです。
一説には、「信仰を邪魔されない土地に移り住んだ」、と言い伝えられています。
世界に散らばった「失われた10支族」は、大陸を横断して東の果てである日本へ辿り着いたのではないか?
これが、日本人のルーツはユダヤ人だという伝説に繋がるエピソードです
古代ユダヤ人の祖先が、世界に分散したのが約2700年前と言われていますので、その頃の日本は縄文時代末期から弥生時代に移行する年代でした。
このユダヤ人のエピソードが、それまで日本に住んでいた縄文人(国津神)(縄文人は12000年以上前から日本に存在していたと思われる)と、大陸からやって来た古代ユダヤ人(天津神)の天孫降臨伝説へと昇華したのではないか?
これはこのブログの筆者である私の個人的な想像ですが、なんとなくロマンを感じるので、機会があればルーツを探る旅に出かけたいと思っています。
この謎を解く鍵はあるのだろうか?神秘のベールに包まれた古代からの歴史ミステリーは
まだまだ続きますが、ひとまずはこれにて第一章を終わりたいと思います。
ではまた。 See you next time・・・