歴史に詳しい人であれば、誰もが知る「人類史上最悪の戦争」がある。
それは、第二次世界大戦中にソ連とナチス・ドイツが戦った「独ソ戦」である。
ソ連のスターリンに、ドイツのヒトラーという世界史的にも稀に見る独裁者が指揮した戦争は、4年間で約3000万人が死亡し、「絶滅戦争」と呼ばれるほどの犠牲者を生んだ。
ロシアでは、ナチス・ドイツの侵攻から国を守ったことから「大祖国戦争」とも呼ばれ、今なを国民の誇りともされる。その背景からか、今回のウクライナへの侵攻でも、プーチン大統領からは「反ナチス」という言葉が幾度も飛び出している。
今、ロシアが侵略を進める中で、我々はこの悲惨な戦争から得られる教訓はあるだろか。
そのヒントになる書籍がある。それが、独ソ戦の戦術や歴史観を描き、戦争書籍として異例の14万部のベストセラーを記録した、『独ソ戦 絶滅戦争の戦禍』(2019年)である。今回の侵攻を経てさらに増刷がかかるなど、さらに重みを増している。
1・合理性なき戦い
ロシアによるウクライナ侵攻が行われている今、あらためて第二次世界大戦の独ソ戦を振り返る動きがあり、書籍「独ソ戦」にも注目が集まっています。
独ソ戦
1941年から45年にかけて、ナチス・ドイツとソビエト連邦の間で行われた戦争。
第二次世界大戦の欧州での中心戦。
当初はドイツが戦いを優位に進めたが、「スターリンググラードの戦い」「クルスクの戦い」などで勝利を重ね、ソ連が勝利した。
両国ともに収奪や捕虜の惨殺などを繰り広げた結果、民間人を合わせた死者はソ連2700万人、ドイツ600〜800万人(独ソ戦以外も含む)にも上るとされ「人類史上最悪の戦争」とも言われる。
ウクライナ侵攻がこれから、「独ソ戦」のような戦争になることを防ぐためには、何を許してはいけないのか、どういう考え方をするとまずいのか、ということを考えなければならない。
独ソ戦の特徴
特に近代以降の戦争は、特定の地域を割譲させて確保するなど、目標がある「通常戦争」の性格を持つ。
19世紀のドイツ統一戦争だったら、分裂したドイツを統一することでした。あるいは、係争地帯を割譲させて確保するために戦争をします。そういった目的に合わせてどう戦争を遂行するかを考えるわけです。
独ソ戦も、資源地帯を取る、あるいは(ドイツが)モスクワを占領してスターリン体制を覆す、といったことを目的とした通常戦争の側面がありました。しかしそれだけでは説明できません。
独ソ戦には、相手は自分たちよりも「生物学的に」劣った存在で、滅ぼすべきであるというイデオロギーに基づいた「絶滅戦争」の側面がありました。
ヒトラーはこの戦争を「世界観戦争」と呼び、ソ連側はファシストの侵略者を撃退し、ロシアを守ための「大祖国戦争」であるとしました。
さらに、資源や労働力、食糧を収集する「収奪戦争」の側面もありました。
通常戦争、絶滅戦争、収奪戦争、いわば、独ソ戦はこの3つが重なった複合戦争でした。
しかも、独ソ戦は戦争が進むとともに、通常戦争以外の要素がどんどん激しくなっていきました。すさまじい捕虜の扱いや住民虐殺など考えられないようなことが行なわれ、軍事的合理性を無視した戦争になりました。
これが独ソ戦の特徴です。
2・ヒトラー VS スターリンの「絶滅戦争」
独ソ戦開始当初、ドイツはソ連に電撃的に攻め入り、戦果を上げますが、次第に劣勢に立たされるようになります。独ソ双方が相当数の犠牲者を出した「スターリングラードの戦い」(1942〜43年)で、終わっていてもおかしくない戦争だったと思いますが、ズルズルと長引かせてしまった。
普通は、コテンパンにやられてドイツ本土に引き下がってきて、首都のベルリンが戦場になりそうな状況になったら、戦争をやめるべきことを考えます。
ところが、ヒトラーは最後の最後まで「私は戦争をやめずに戦いぬく。私が死んでもみんなロシア人と戦える」と続けようとしました。
まさに世界観のかかったものだったので、駆け引きでやめるわけにはいかなかったのでしょう。
通常戦争を超えたものがあったがゆえに、本来であればここで引いてもいいところで、お互い引くに引けなくなってしまったのでしょうか。
スターリングラードの戦い
1942年6月、スターリングラード(現在のロシア西部ボルゴグラード)で始まった、ソ連軍とドイツ、ハンガリーなど枢軸国軍との間での戦い、43年2月にドイツが降伏し、終戦。
ソ連が勝利し、ドイツが大打撃を受けたことから、独ソ戦や第二次世界大戦の転換点となった。激闘の攻防戦として知られ、戦争前には60万人いた人口が1万人を下回り、「史上最大の市街戦」とも言われる。
諸説あるが、両軍合わせた死者は200万人にも上るとされる。
この大戦を率いたスターリンとヒトラーという、軍事面での指導者としての能力を比較
スターリンは、軍事的にはそれほど優れた人ではありません。独ソ戦初期もいろいろと口出しして失敗しています。
ただ、スターリンは自分が口出しして失敗したら、将軍たちに任せるようになりました。自分が不得手なことを、人に任せる器量はあったんでしょう。
一方のヒトラーは勘が良かったと言われていますが、常にギャンブルでした。国内の経済に負担をかけて無理して準備を整えて、戦争をする人です。
また、スターリンとは対照的に、ヒトラーはどんなに負けがこんでも、どんどん口出ししました。
軍事的天才だったという議論は当時からもあったし、今でも一部にはありますが、それは現代の戦争ではあまり評価されません。
第一次世界大戦以降、戦争は軍隊と軍隊だけが争うのではなく、国民が総力を挙げて、経済と文化、イデオロギー、色々なことを総力をかけてぶつかる「総力戦」というものになりました。
総力戦の時代では、自分の国の人的資源や文化、イデオロギーなどのリソースを動員し、効果的に配置して、戦争に勝つのが優れた軍事指導者です。
3・プーチンの「思想的準備」
独ソ戦の解釈について、ヨーロッパは戦後、揺れ続けていきました。特に、ソ連崩壊後、旧ソ連諸国や周辺国は、ヒトラーの被害者であるとともに、ソ連に侵略された被害者でもあったと主張し始めました。最近もウクライナを巡る問題で、プーチン大統領がナチスの話を持ち出しだしています。解釈が節目節目でどんどん変わる戦争はあまり例がありません。
第二次世界大戦の欧州での80周年にあたる2019年に、欧州会議は、大戦を勃発させたのはヒトラーのドイツだけではなく、ドイツと不可侵条約を結び、その秘密議定書で東ローロッパ分割を取り決めていたスターリンのソ連にも責任があるという決議をしました。
(「欧州の未来のための欧州の記録の重要性」決議)
プーチンはこれに反論する形で、旧ソ連の大祖国戦争史観を公然と語り始めました。
ソ連は、独ソ戦に至る前に、バルト三国を併合したり、ポーランド東半分を取得したりしましたが、それはいずれ訪れるドイツ・ファシストとの戦争に備えるためで仕方がなかった、という類の議論です。
今後、独ソ戦のような規模の戦争は起こりえるのだろうか。
これは国の指導者だけの問題ではなく、誰か1人が、例えば「こいつらは自分たちよりも劣った、滅ぼすべき存在だ」といった時に、普通だったら「何を馬鹿なこといってるんだ」といって誰もついていきません。
ただ、紛争があるとか、あるいは対立する国の人間が自国にどんどん食い込んできて、自分たちの仕事を奪っているとします。
それを国の指導者が「悪魔のようなあいつらがいるから、君たちは困っているのだ」といった場合、積極的に攻め入って奴隷にしようとまでは言わなくても、「あいつらが悪いからな」と交戦支持に回るかもしれません。
さらに、相手に抵抗されて、攻め入った側に死者が出る。例えば自分の家族や子供たちや親が死ぬ。
そうなると、「やっぱりあの国の連中は悪魔のようなやつらで、生かしておいてはいけない。じゃあどうやって絶滅させるか」というふうに行きかねないのです。
4・私たちが学ぶこと
今もロシアにより続いているウクライナ侵攻は、現状で言えば、どんな理屈をつけたとしても許されない侵略戦争です。
ロシア側の目的や主張の合理性も日本人にはよく分からないし、何が欲しいのかもよく見えてきません。
通常は、都市を占領する場合、いきなり攻め込んだりはしません。
孤立させて、できれば周りを包囲してどんどん弱らせてから叩くものです。しかし、今回のロシア軍は、戦術を練りに練ってきたはずなのに、いきなり攻めかかって大損害を出しています。これは軍事の常識を無視しているようなものです。
そして、間も無く春を迎えるウクライナは雪が解けだして地面がぬかるむ泥濘期を迎えます。
ロシア軍の地上部隊は大規模な軍事活動ができなくなります。
その前に決着をつけたいはずですし、あれだけの大軍を動かしていると経済的な負担も相当大きくなります。
つまり、軍事的合理性で考えると、戦闘を長期化させるには限界がある。
そして、核兵器の使用をちらつかせて脅すなど、世界中から嫌われ者になるようなこともやっています。
戦争目的はなんなのでしょうか?
自分の国が滅んでも、ウクライナを占領したいのか。これはもう理屈では説明できません。
歴史を勉強することは意味があります。
決断を下す指導者や国民が置かれていた状況。何が分かっていて何が分からなかったのか。もし、下された決断が間違いだったら、なぜ間違ったのか。
今回のことで言えば、独ソ戦や第二次世界大戦について、なぜこういうことが起こしてしまったのか、要因はなんだったのか。それは現在のウクライナを巡る情勢の中で同じ要素があるのか。ないのか。
今私たちは、過去の歴史から学ぶべきことが大切な時期にきていると思います。
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