今回もロマンではこれまでの冒険に引けを取らない。なにしろ「古代のファーストクライマーの謎を追う」というのだから。だが、本当にそんなことが可能なのだろうか?ちなみに『剱岳<点の記>』では、測量隊のあいだで、立山信仰の発生と時を同じくして剱岳も奈良時代に開山されたのではないか、といった推理が交わされている。
古来、人々は山を崇め、恐れてきた。本書によれば、ヨーロッパや南米では、人間が寄りつき難いほど高い山は不吉な場所とされてきた。一方で、ヒマラヤの高峰は神聖なものとみなされる。ネパールのマチャプチャレ(標高6993m)は神域とされ現代においても未踏峰だという。
日本でも、山は古くから信仰の対象とされてきた。たとえば山岳信仰で知られる出羽三山は、三つの山がそれぞれ現世(羽黒山)・前世(月山)・来世(湯殿山)を表すとされ、出羽三山への巡礼は「生まれ変わりの旅」とされる。
『剱岳のファストクライマーは誰か』という謎を解明するにあたり、著者がまず注目したのも立山信仰だった。古くから地元に伝わる立山開山遠起によれば、701(大宝元)年に佐伯有頼という人物が立山を開山したという。開山とは、未踏峰の山に登り、そこで神仏を迎え聖地化することである。個人の修行や一宗派の宗教行為にとどまらず、時にそれは国家鎮護のための祭事として行われたという。剱岳のファーストクライマーも立山開山と関係しているのだろうか。
謎解きの興を削ぐので詳しい過程は省くが、著者は立山信仰を調べていく中で、別の山岳信仰の存在に気が付く。そして現代では失われた古代の信仰の道を発見するのだ。このプロセスが実にスリリングで面白い。手がかりになるのは、古くから地域に残る伝承や地名である。
著者は、伝説や地名、言い伝えを一級資料として扱う。声なき民衆の声が反映され、消し去られた歴史の残像が宿るからだという。「キクワウチ」「ガキガンドウ」「ハゲマンザイ」といった古い地名が、著者を失われた古道の発見へと導いていく。
興味深いのは、この探索の旅を通じて、著者自身が変わっていくことだ。近代アルピニズムが誕生して以降、私たちは山を登山の対象としか捉えてこなかったが、剱岳の謎に挑むうちに、著者の中に山を信仰した古代の人々の感覚が蘇ってくるのである。
失われた信仰の道を求めて山中に分け入る時、意外にも真相に近づいているという高揚感は感じられない。かわりに著者の心は厳かな気配で満たされていくかのようだ。
著者の探索は、いつしか剱岳のファーストクライマーの正体や古道の存在を超えた地点にまで進んで行く。4年に渡る探索の果てに著者が辿り着いたのは、心の古層を掘り起こされるような奥深い山の神秘に触れる体験だった。
『あなたは、なぜエベレストに登るのか』と問われたイギリスの伝説的登山家のジョージ・マロリーは、『そこにエベレストがあるからだ』と答えたが、本書を読まれた読者の方は、きっとこう答えたくなるだろう。『そこに、神様がいるからだ』と。
ではまた。See you next time・・・