どのような人物が知的なのか
みなさんこんにちは!
私は突然のギックリ腰から、なんとか順調に回復しつつあることに感謝しています。
自分の身体よ!頑張ってくれてありがとう。
今日は知的な人物について少し書いてみたいと思います。
私たちは「頭が悪い」と言われることを極端に嫌う傾向かあります。
知性が人間そのものの優劣を決めるかどうかは、私が判断するところではないし、そのようなことを気にする必要もないのですが、実際知的であることは現在の世の中においては有利であるし、組織は知的な人物を必要としています。
今の世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして考えられており、根拠があるものないものを含めて混沌としています。
しかし、人間の属性と知的であるかどうかの関係は、よくわかりませんが少なくとも自分が判断する材料として、5つの態度があると思います。
一つ目は、異なる意見に対する態度
知的な人は自分と異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす。
二つ目は、自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び恐れない。また、それについて学ぼうとする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、そのことを隠そうとし学ばない。
三つ目は、人に物を教える時の態度
知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている。
四つ目は、知識に対する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上に、役に立ちそうもない知識を蔑視する。
五つ目は、人を判断する時の態度
知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための判断」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための判断」をする。
知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうかという話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さと粘り強さを必要とするものなのだ。と思うわけです。
ではまた。See you next time・・・