まぐれ当たりが発動して成功した体験は危険?
なぜだかわからないけど、偶然うまくいった!
これ自体は、ずごくいいことです。
なんでもうまくいくことに越した方が良いと思いますし、偶然だろうが運だけだろうがうまくいかないよりは、うまくいったと思える方が断然良いと思います。
ただし、偶然うまく行ったことを次もうまくいくだろうと希望的観測で信じてしまうのは危険だと認識しなくてはなりません。
かくいう私もその一人ですが、なぜだか理由はわからないけど偶然うまくいって、「ラッキー!なんだかうまく行った。わははーー」という感じで楽観視してしまい、その後すぐに足元を掬われてしまい「どうして??前はうまく行ったのにー、は〜〜ダメだ・・・」となったことが何度もありました。
それは「あなたが浅はかなだけでしょう」と言われてしまえば、それまでですが・・・。
肝心なのは、人生でマグレ当たりをどう減らすかである。
偶然うまくいくことは良いことだけど、その後になぜうまく行ったのかを分析してみることはとても大切です。
そして、その偶然の要因が全く思いつかないなら、その記憶は忘れた方が良いと思います。
世の中には、成功体験などのハック術が溢れていますが、ほとんどの成功に再現性は低いと考えられるので(もし再現性が高いなら成功してうまくいく人の方が増えるので、世の中は成功者がどんどん増えるはずですが、現実はそうなってはいません)
成功したその人が、何度も諦めずに試行錯誤して尚且つ、同じだけ行動に移して、そのうちの1つか2つが偶然うまく行った。(偶然などと言えばお叱りを受けてしまいますが、あえてそう表現します)成功の裏には数百数千の失敗が隠されている。そう考える方が妥当だと思います。
だから偶然の成功を手にするために、諦めずに何度でも挑戦しなさい。ということでしょう。
(本当にすみません。成功しているのは努力と継続の結果だと思います)
飛躍しますがこれはおそらく、コイン投げで勝つ人の様なものです。
1000人の人がコイン投げの大会に参加したとして、七回投げ終わった時には7人ぐらいの人が勝者として残っていたとします。
この人達は、コイン投げの達人なのでしょうか?
たぶん、ちがいます。
偶然、勝っただけです。
ただし、「コイン投げに参加する」という行動はしました。
ここで人はなんらかの法則性を見つけようとします。
これは「結果による錯覚のワナ」というもので、例えば100万頭のチンパンジーが、全くのランダムに株式売買のボタンを押している姿を想像してみてください。
さてどうなったか?
1年後、半分のチンパンジーは利益を上げ、残りの半分は損失を出していた。
2年目は、利益を出したチンパンジーのうち半分が利益を上げ、半分が損失を出している。
こうして投資は続けられ、10年後には利益を出せているチンパンジーは1000頭になった。
このチンパンジーを「天才的チンパンジーの成功者である」と呼ぼう。
さて、周りの反応はどうだろう?
メディアはこの話題を取り上げ、なんとか「成功の法則」を見つけようとする。
そのチンパンジーだけ、バナナの食べ方が違っていたのかも知れない。
休む時は、1頭だけ違った場所に座っていたのかも知れない。
木にぶら下がる時に、逆さまになっていたのかも知れない。
などなど・・・
何かしらの「成功のレシピ」があるに違いない。でなければチンパンジーが20年間利益を出し続けて大富豪になどなれるはずがない。
しかし、これは「結果による錯覚のワナ」と呼ばれていて、偶然の結果に何らかの意味づけをしてしまうことである。
偶然うまく行ったことは、あくまで偶然で、その次もうまくいくかは分からない。
なので検証と分析が大切である。という話でした。
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
ではまた。See you next time・・・