登山 行蔵の雑談日記

山登りが趣味のおじさんです。自分が好きな事、気になった事を雑記でつぶやいています。

【日本の未来】BBC東京特派員の記事についての雑感!

古き良き時代と自然が残る国

日本は未来だった、しかし今では過去に囚われている。

みなさんこんにちは!

 

今回は2023年の1月22日にBBC NEWS JAPAN に投稿されていたBBC東京特派員の記事について自分なりの雑感を綴ってみたいと思います。

 

記事を投稿されているのは、BBC東京特派員のルーパート・ウィングフィールド=ヘイズという方です。URLを貼り付けようとしたのですが上手くいきませんでした。すみません。

 

記事の中で、冒頭「この国の経済は世界第3位の規模だ。平和で、豊かで、平均寿命は世界最長。殺人事件の発生率は世界最低。政治的対立は少なく、パスポートは強力で、新幹線という世界最高の素晴らしい高速鉄道網を持っている。

 

アメリカとヨーロッパはかつて、強力な日本経済の台頭を恐れていた。現在中国の経済力の成長を恐れているように。しかし、世界が予想した日本は結局のところ、出現しなかった。1980年代後半に、日本国民はアメリカ国民よりも裕福だった。しかし、今では、その収入はイギリス国民よりも少ない。

 

日本はもう何十年も、経済の低迷に苦しんできた。変化に対する根強い抵抗と、過去へのかたくなな執着が、経済の前進を拒んできた。そして今や、人口の少子高齢化が進んでいる。」

出典:BBC.com ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、BBC東京特派員 記事

 

かつて未来はここにあった

この後も記事は続くのですが、ここからは私の雑感です。30年前までは世界が憧れる急成長を遂げていた日本という国が、バブル崩壊を機に停滞してしまっているのはなぜなのだろうか?

 

変化に対して抵抗があるのはなぜ?過去に執着しているのはなぜ?ついて行けなくなることを恐れているのか?本能的に集団からの離脱は生命の危機につながるとわかっているからか?

ならば高齢者集団が多いほどじっとしていて動かないことを選ぶ?理由は変化にはついて行けないから。決してディスっているのではない。なぜなら私も高齢者集団の一員だから。

 

相変わらず日本人は働き者だし、生産性が低いとはいえ国民が総出で懸命に働いているように思える。

それでも実質賃金は30年間上がっていないし、今では韓国や台湾の人たちに収入面で追いつかれ追い越されている。

それでも、日本全体としては変わる気配は感じられない。

 

これは、変わりたいと思っている人(もしくは変わらなければならないと思う人、若い世代)よりも、変わらなくても良い。(少なくとも自分達が生きている間は、死んだ後は若い世代でなんとかしてくれ!逃げ切りたい)と感じている人の方が多いからではないだろうか?

 

高齢化社会(年寄りの社会)は変わるようなエネルギーはもはや残されていない。ゆえに現状をできるだけ維持したい。少なくとも自分達が生きている間だだけでも。だから仕方ないのかもしれないが・・・

 

大企業には人材がいる。資源もある。つまりリソースはある。これは国も同じ。だったらなぜもっと革新的になれないのか?

 

失敗を恐れるからだ。なぜ失敗を恐れるのか?

 

何かを失ってしまうと思っているから。何を失うというのか?

今の立場(ポジション)を失う。仕事(キャリア、経験)を失う、生活を失う?死んでしまうのだろうか?確かに一度の失敗が即、死に繋がることもあるだろう!しかし現在の日本においてそれはどのくらいの確率なのだろうか?

 

本当にそうだろうか?何かを失えば終わりなのだろうか?逆に得るものも多いのではないだろうか?それを元にやり直せばいいのではないだろうか?失敗から得た経験が多いほうが価値があるのではないだろうか?

 

神は滅ぼしたいと思う者に40年の繁栄を与える。=「アリストテレス

 

生き残るのはもっとも強い種でもなく、もっとも賢い種でもない。もっとも敏感に変化に対応した種である。=「チャールズ・ダーウィン

 

私は失敗したことはない。ただ1万通りの上手くいかない方法を試しただけだ。=「発明王エジソン

 

安定した環境下では、戦略、構造、人、文化の整合性がとれていることが成功につながる。

効率を高めてコストを削減して既存事業を深化しながら顧客や競争の変化に応じて新規事業を深索する能力が必要。

 

どうすれば時の試練に耐え抜いて、組織は存続できるのか?

なぜ時が経っても生き延びる組織もあれば、存続できずに滅んでしまう組織もあるのか?

 

直接関係してくるのが、進化生物学の研究。

進化の本質は、時間と共に変化や変換することにある。

 

自然選択は、時間と共に有利な特徴(生き延びるのに有利な特徴)が一般的になり、不利な特徴は広がらないというプロセスを指す。

鳥、昆虫、粘菌、人間と同じように組織のも当てはまる。

 

 

 

進化論の三つの基礎

多様化ー(有機体や組織が違う特徴を持つ)

 

選択ー(これらの違いにより、その有機体が生き延びる能力に差が生じる場合がある)

 

維持ー(ある世代から次の世代へと、有益な特徴が受け継がれる可能性がある)

 

時間と共に環境が変化すると、特徴上の多様化がその有機体に上手く適合したり、しなかったりする。

 

そして適合すれば生存確率が高まる。

つまり色々試して(小さく挑戦を繰り返して)上手く適応できたものが生き残る。

それにはまず、動きながら(行動しながら)試さなければならない。

 

試していきながら(試行錯誤して、挑戦して)、上手くいきそうなもの(気配があるもの)を残す。

生き残るためには、何が必要なのか?何を捨てるべきなのか?全ては生存競争なのである。

 

チャンスは常に人々の不満の中にあるー「アリババグループ創業者、ジャックマーの言葉」

 

かつての高度経済成長期の日本では「みんながしていることをやる」という同質化戦略をとることが多くあった。この場合に成功したければみんなの3倍努力するか、みんなと一緒に絶滅する覚悟があるか?という2択になる。

 

成功するまでやり続けた者が生き残る。優秀な者が100人いて99人が絶滅して一人だけでも生き残れば勝者。つまり生存競争に勝ったもの(成功した者、生き残った者)が正義(正しいやり方、正解)になる。

 

ある仕事に3度失敗してもあきらめないなら、あなたはその道で指導者になれる可能性がある。10回以上失敗してもなお努力を続けられるのなら、あなたの心には天才が芽生えはじめている。

 

今の日本の状況は当時と比べてどうだろうか?これだけ世界が多様化している(さまざまな可能性の意見を出し合い模索している)中で、一部の優秀なエリート層だけに任せておいて、最後まで生き残れるのだろうか?そもその正解など無いのでは無いのか?あったとしても1〜2年も経てば変わっているのではないか?

 

答えの無い問いだと思う。しかし議論はしたほうが良い。かりそめでも民主主義なのだから。

 

本文中にもあるが、日本の仕組みについて理解する必要がある。

日本はごく一部のエリート集団が、どの時代においても世の中を支配してきた。(近年なら幕府という武士(エリート集団)を転覆させた明治維新の武士というエリート集団、第二次世界大戦に入る前の官僚達や政治家、大戦後も同じ構図)

 

これは、日本という国が歴史上で認識された以前からそうなのだと思う。

特権的な支配層(エリート集団)神のような存在、昔なら朝廷や幕府、地方の豪族など、今で言うなら官僚たちになるのだろうか?(太古なら神通力のような力=周りよりも少し知恵がある人。今なら少し周りよりも頭の良い人達。なら誰かが導いてくれると思うからか?たとえ導いたとしても世の中にとって有益とは限らないのでは?一部の人間にだけ有益とか)

 

歴史の成り立ちの中で常にそうであったように思うので、支配する側と支配される側で大きく分かれるのだろう。支配されるほうが楽なのだろうか?思考停止状態が続いて今が良ければいいのか?

 

海外では民衆が隆起して改革派がクーデターを起こしていることが多いが、日本では支配している側のエリート集団を別のエリート集団が隆起して改革が進められきた。

 

日本でも究極的に苦しくなって命の危険が迫れば、農民一揆などの地方での反逆的隆起は起こっても国勢を変えるような隆起は起こらない。(かなり我慢強い民族だと思う)

 

年寄りがまだまだ権力を握っているから。

今も昔も同じだけれど、年寄りが権力を握っている。

そして年寄りは、自分が老いたと認めたくないため(自分の利害のため)に権力を手放したくは無い。

 

記事の中で、この記者も日本の未来を心配してくれているのだけれども、日本がこの先停滞から抜け出し発展してゆくためには、移民の受け入れと世界でも稀有である日本の四季折々の国土の有効活用、そして予算の再配分が重要である。と教えてくれている。

 

日本は昔から土木事業が大好きなのだが(国土の中で道路、水道、電気などインフラ整備がここまで行き届いている国は世界中探しても無い。これは社会保証も同じ)滅多に人が通らない山奥の中でもアスファルト舗装が行き届いているし、箱物と呼ばれるコンクリートの建物、公共事業の名の下、新しい高速道路、新しい橋、河川整備、架線工事、駅前再開発、地域のコミュニティ環境の充実の建物、末端に至るまでの全てのサービスが官民合わせても過剰なほどクオリティーが高い。

 

果たしてそのようなクオリティが全てにおいて必要なのだろうか?

 

社会貢献という意味ではそうなのかもしれないが、クオリティを求めるあまり相対的な経済成長を犠牲にしているなら、必要なところにクオリティを集中した方が良いのでは無いだろうか?

 

それよりは、これから成長するであろう若い世代の教育や、基礎研究などの未来に対する事業に予算を割くほうが国の未来に対する投資なのではないだろうか?

 

答えなど誰にもわからないし、そもそも答えなどないのかもしれない。しかし前に進めるためには誰かがやらなければならない。相対的に停滞していることは後退していることと同義だから。

 

孔子論語

「これを知る者は、これを好む者にしかず」

「これを好む者は、これを楽しむ者にしかず」

意味はー「物事を知るものは、物事を好む者には敵わない。物事を好む者は、物事を楽しむ者には敵わない」

 

つまり人生を楽しむ者には敵わない。

 

ここまでつらつらと書いてきたが、自分も何もできてはいないし何者でもないので、何も偉そうに講釈を垂れることなどは持ってはいないのです。

 

しかし、考えさせられる記事だと思い色々と書いてしまった。

 

最後まで読んでくださった読者の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。そして拙い文章を読んでくださりありがとうございました。

 

心からお礼を申し上げます。

 

結論などないのですが、今後も考えてゆきたいと思っております。

 

ではまた。See you next time・・・

 

神々しい環境を残したい