『雑草』という戦略 予測不能な時代をどう生き抜くか
この本から得た気づき
1:私たちが住む世界を含めた自然界は競争社会だということ。
2:その競争社会の中で自分はどう生きようと思うか。
3王道(みんなが行く道)は、天邪鬼な自分には合わないのでニッチな場所で生きる
雑草が得意としている特殊な環境は「予測不能な激しい変化が起こる場所」(競争社会)
道ばた、公園、空き地、庭先そこらじゅうに勝手に生えてきて、踏まれたり、抜かれたり、刈り取られたりしている植物を私たちは雑草と呼んでいる。
一見すると邪魔者にしか見えない雑草は、「もっとも進化した植物」と呼ばれているらしい。
雑草が生えている場所は、常に安定しない。いつ人間がきて草抜きされるかわからないし、車に踏まれたり、空き地の開発で土ごと掘り起こされたり、開発事業でコンクリートで埋められたり、舗装されたり。と目まぐるしく環境が変化する。
そんな特殊な領域を、あえて得意としているのが「雑草」という植物である。
とすれば、私たちが今を生きている時代が、「予測不能な激しい変化が起こる場所」だとしたら・・・・「雑草」の戦略が役に立たないはずはない!
合理的に逆境を利用する(ニッチな場所)
逆境は考えようによっては味方になる。
人生でも、上手く行ってる時には気が緩んで深くは考えない(自分のこと)
でも一度上手くいかにようになり始めたら、どんどんマイナスのイメージが膨らんでゆく。(そう落ち込むのだ)
あるいはポジティブシンキングで逆境を、悪いことばかりではなく自分にとって良いことはあるはずと思える(視点を変える。もしくは悪い中でも、良いと思える部分を見つける)ことができれば良いのだが・・・
人間は精神状態に左右されがちだが、雑草の戦略はもっと合理的みたいだ。
本の中で弱者が勝つ条件として「恵まれた条件で無い場所で敢えて勝負すること」を挙げている。(悪条件なら勝てるかも?)
例え話として紹介されているのがサッカーの試合で、
プロの選手を集めた強豪チームに、小学生の弱小チームが勝つ方法として、
大雨の嵐のなかで、ドロドロにぬかるんだ前も見えないようなグランドであれば、プロでも本来の力を出すことはできないし、少ないながらも勝てる可能性も出てくるのではないだろうか?
確かに悪条件であれば相手に勝つ可能性は出てくるが、同時に自分もボロ負けてしまう可能性が増える。(ここはやはりトレードオフか?弱者が勝率を上げるにはリスクをとってゆくしか無いということか)
ではどうするのか?大雨や強風の悪条件でも戦える能力を鍛える。サバイバルの鍛錬?相手がやる気を無くしても自分は諦めないということか?生き抜く力?(いうが易し、しかしやってみる価値はある)
これには時間もかかるし、自分に対する投資(お金)と忍耐力も必要になってくる。(少なくとも自分の知恵(考える力)は自分を助けてくれる)
(このへんの部分を鍛えるのに私は読書と人の話をよく聴くことにしている。読書でも人の話の中でも一つでも二つでも、ヘー勉強になった。と感じれれば勝ち。対価を払った価値はある)
悪い条件を想定してコツコツ努力する。地道な作業でひたすら続けるのが辛いことである。
だがここに特化した力が身につけば、必ず世の中で逆境と呼ばれる時期が訪れたときも、自分を助けてくれるはず。
誰しも逆境は嫌である。何事もなく順風満帆に人生を幸せに暮らしたい。
運良く自然にそのような環境で人生を送れる人もいるだろう。
それは本当に運が良い人だと思う。自分の幸運に感謝して幸せに生きていけば良い。
しかし、多かれ少なかれ不利な状況は訪れるものである。
ではどうするのか?まずは逆境が訪れる日までひたすら自分を磨く。
逆境が訪れなければ、それはそれで幸せな人生だ。
成長点を低く持つ(生き方)
植物は毎日成長している。全く変化していないように見えても確実に成長しているのだ。(真冬の極寒の寒さの中でも、夏の灼熱の炎天下の下でも)
何か少しでも、昨日の自分より成長したと思えることがあれば素直に喜ぶ。
(これは大切、素直さは成長への近道、今日は晴れてるラッキー🤞みたいな感じ)
そう気がつくことから始めよう。(毎日新しい自分に生まれ変わっているのだ)
昨日までの自分がダメだと思えても、今気が付けばそれで良い。(自分への自戒を込めている)
昨日までの自分はどうでもいい。もう過ぎたことだ。
今からやればいい。たとえ何も結果が出てないように感じても必ず昨日の自分より成長しているのだ。(そう雑草のように)
これぞまさしく雑草魂!
チャンスは準備された心に降り立つ(最後まであきらめるな)
草取りに強い雑草に求められる能力は「チャンスを逃さないこと」である。
「幸運の女神は前髪しかない」らしい。
すごいスピードで自分に向かって前から走ってくるが、唯一のつかめる場所である髪毛をつかもうとしても自分を過ぎ去った後では後頭部は禿げていて掴めない。女神は前髪しかないのだ。
過ぎ去ってしまえば捕らえられなのだ。
とにかく準備しよう。
でも準備といっても何を準備すれば良いのか?
それは、自分で決めるしかない!(他人はその人の人生に責任は持てないから)
冷たいようであるが、そなのだ! なぜならこうなりたいと思う姿や、このようなことがやってみたいと思うことや感じる事は人によって千差万別だし、自分の理想ややりたい事、目標や目的などが、そもそもわからない人が大半だと思う。ひどい言い方をすれば、なんとなく生きているのだ。🙇(私もそうです本当にごめんなさい。反省)そもそも自分がやってみたいことや、こうなりたいと思う姿などを分かっている人はすでにそうしているからだ。
そう自分がやりたい事を見つけている人は、うまく行こうが行くまいが、すでに行動している。
もしくは今はまだ行動していなくても準備は進めているはずだ。(自分の心の中か、具体的かはわっからない。でも決断はしていると思う)
だから、まず自分が何に興味があるのか気がつくための準備(行動)が必要なのだ。
それは、いろいろ試して(行動して)自分自身でして見つけるしかない。
何か自分が、これだと思うこと(気になったこと)があればチャレンジしてみよう!
そこからチャンスが生まれるかもしれない。
何事もやってみなければわからないのだ。
最後に、いらない個性はない!
人間が育てている作物は優秀なエリート集団である。優秀なものの中から、さらに優秀なものだけを選び抜いた精鋭中の精鋭である。(だから均一化するし、同質化してしまう。同種のレベル以外は受け付けない)
しかし、それは人間の中の限られた基準で選ばれたに過ぎない。(所詮人間は人間以上にはなれないのだ。最近ChatGPTという最新のAIが話題を呼んでるが、これから10年ぐらい後の世の中は激変するかもしれない。人間よりも遥かに優れたAIがあれば大半の企業はそれを利用するだろう。その自己学習するAIが管理職の仕事に置き換われば、本当にクリエイティブな人間しかそのポジションには残れないのではないか?)
人間の保護下であれば優秀であるのかもしれないが、サバイバルな野性の中の自然界ではそんなものでは生き残ることは出来ない。
自然界は甘くはないのだ。(おそらくこれからやってくる未来の人間界も同様)
雑草の中のある株が病気に弱くても、別の株はその病気には強いかもしれないし、また別の株はもっと違う病気にも耐えれるタフさを持っているかもしれない。(これが多様性と呼ばれるものだと思う)
様々な性質を持つ集団で形成されるからこそ、全滅は避けられるのである。(最悪の事態10000分の1でも生き残れば勝ち)
大切なのは生きること、そして生き残ることだからだ。
ではまた。See you next time・・・